PCゲームで度肝を抜かれた瞬間(等)

ゲームの技術は日進月歩です。私はsteamに登録した年から数えて14年、それ以前からもPCゲームをやっていました。少なくともアクション系には慣れてしまって、あまり感動したり驚いたりすることがなくなってしまいました。先輩風を吹かすつもりは露ほどもないのですが、どのゲームをするにも衒学ぶった、なんちゃってレビュアー目線。驚きや喜びを渇望しているのです。そこで、ゲームで度肝を抜かれた瞬間(等)を思い立って書きました。

ソフトウェアレンダリングからグラボによる描画に変更したとき

皆さんは、自らの歴代グラボを覚えていますか?私は覚えていません。しかし、最初に購入したのは、今はなきカノープスの3Dカード(今はこんな呼称はしないけど)でした。これを、富士通のFMVに差し込んでみたものの、チップセットと3Dカードが競合してブルースクリーン発生。PCに強い友人に手伝ってもらいました。グラフィックカードで描画されるOutwarsを見た瞬間絶句しました。色彩豊かで、立体的で、且つ今でいうヌルヌルとしたフレームレートを叩き出しています。今までの画質は一体なんだったのか。「すげぇ……!」しか言えなくなりました。

人によってはQuake2だったり、ナ・パリ城だったりするかもしれません。これからもグラフィック技術は躍進するでしょうが、多分私はこの「グラボ無し→有り」に切り替わったほどの驚きをすることはもうないかなと思います。

インターネット対戦を初めてプレーしたとき

「もう友達家に連れてくる必要ねーじゃん!」と思いませんでしたか?私はRTSの古典Age of Empiresを友人5人とプレーしました。しかし悲しいかな、当時は馬の毛のように細いダイアルアップ接続。しかも、狙いをつけたように誰かがオカンに電話をかけてきて回線を切断しやがります!私は、電話をかけた罪なき叔母に毒づいてしまい、こっぴどくオカンから怒られたことがあります。

PlayOnlineというコアなPCゲーム雑誌を見つけたとき

硬派な文体と膨大な英単語、廃人プレーを誇らしげに記事にしている雑誌は他にありませんでした。情報が溢れる今日では雑誌という媒体は時代に合いません。しかし、本だと一応最後まで目を通すので、ネットだと気にも留めないRPGやMMOなどもチェックできますね。ちなみにPlayOnlineの休刊後、ほとんど同じ編集者たちがOnlinePlayerという雑誌を発行しています(私の投稿が2回載った)。が、こちらもあまり続かず休刊に。他、ログインや4Gamer magazineもありました。

Unrealのタイタンを見たとき

今でこそ巨大ボスは掃いて捨てるほどいますが、私が驚いたのはUnrealのタイタンでしょうか。今の若い人が見たら失笑する大きさかもしれません。しかし、当時はその大きさとタフさに度肝を抜かれたものです。同窓会的な意味でまた会ってみたいですが、今も変わらず岩石を投げつけてくるでしょう。

Unrealのskaarjと戦ったとき

Unrealは驚きの宝庫でした。このプレデターを模したskaarj(スカー)の初見参時にびびったおっさんは多いかと思います。長い廊下の出入り口にバーがされ、電灯が一個一個消えて行く時「なんなん……?」と博多弁が出ました。弾速の遅いディスパリジョンピストルをローリングで避け、颯爽と突っ込んで来る男ざまに「避けんのかよ、お前ぇ!(倒置法)」とディスプレイに向かって叫びました。

ちなみに、このUnrealは未見のプレイヤーがクリアーするまで30時間は下りません。オデッセイアさながらの人生をかけた長旅を体験できます。ただ景観は変わっていくため、全く飽きることはありません。

Daikatanaという変なタイトルのゲームを発見したとき

この不朽の迷作が発売されたときは、まだニードフォースピード2で遊んでいた小僧でした。インターネットもなく、何かパンフレットに、名前とパッケージのみ書かれており、どんなゲームなのか好奇心をくすぐられました。度肝を抜かれた……とは異なりますが、それだけインパクトが強かったのです。

Quake 2の敵デスシーンを見たとき

ガードは膝をついて最後のブラスターを撃ち、首が飛んだグラントはマシンガンを乱射しながら仰向けにバッタリ逝く。90年代の所謂ダークアンドシリアスFPSの敵は、最期の魅せ所と言わんばかりに仰々しく仆れていきます。ペインキラーあたりからFPSにも物理エンジンが導入されて、今はほとんどそればかりです。別に残虐な死に方が見たいという訳ではないのですが、デスアニメーションの廃止は敵キャラの桧舞台を奪ったようで、一抹の寂しさを覚えます。

日本語化されたゲームをプレーしたとき

当時まだ洋ゲーという言葉が生きていたときは、その名を顕さんが如く全てが英語でした。よくて日本語マニュアル付き。そのため、字幕まで日本語化されている洋ゲーには、真心からありがとうと感謝したものです。最近はマルチプラットフォーム化によって、世界各国で売る必要が出てきており、したがってローカライゼーションはその恩恵と言えるでしょう。しかしそれが当たり前だと感じるのはおこがましいと思いませんか?

日本語化されていないだけで、声高に罵言雑言を上げる人がいてとても残念です。有志の翻訳進捗が遅いのにクレームをれ、重箱の隅をつつくように誤訳を指摘する人がいることに驚き呆れます。私なんか高校生の時、紙の英語辞書引きながらHeavy Gearを必死でプレーしたけどなぁ。

Serious Samの体験版をプレーしたとき

FPSの舞台は、薄暗くて閉鎖感のあるインドア……という常識を打ち破った作品。もちろんアウトドアもあるにはありましたが、所詮細長い一本道でした。清々しい青空の下、地平線までマップが広がって、悠久のエジブトを描写しています。そして迫り来る数多の敵、敵、敵!かつてないほどの同時出現数は前例にありません。Kamikazeの「AAAAAAA!!!」に戦慄を覚えたプレイヤーも多いことでしょう。

Doom3のグラフィックを見たとき

3秒で通り過ぎるところにさえ、偏執的に作り込んでいるじゃねーか、と唸りませんでしたか?さすがidだカーマックだと褒めそやしつつ、どうしてこう暗いんだ、もっと細かいところを見たいと不満を漏らしたことでしょう。地獄めぐりもじっくり時間をかけました。決して心休まる風景ではありませんでしたけど。サイバーデーモン氏は、佐々木小次郎と改名していいかもしれません。

Stalkerの大風呂敷を聞いたとき

お酒を飲めば気が大きくなると言いますが、多分そうでしょう。スピリタスを飲みながら作ったに違いありません。ちょいとウォッカを引っ掛けてインタビューに応えたのでしょう。連中は、A-Lifeやら何やらをこれ聞こえよがしに吹聴したのです。嗚呼、何人のゲーマーを失意に貶めたのでしょうか。そして、男の気をひく女の如く延期の繰り返し。本当に発売されたときは、逆に怖くなりませんでしたか?私が受け取ったのは休日でしたが、朝飛び起きて、ひどい寝癖とパジャマのままローソンに駆け込みました。限定版の缶は、ちょうどいいサイズだからと今でも筆箱として使用、同僚はこれを見るたびに眉根を寄せています。

冗談は置いておいて、確かにスケールダウンしたものの確固たる個性とハードなゲームプレーで名作と称するに十分な作品ではないかと思います。根強いファンがMODを作っており、これらを入れてチェルノブイルに戻りたくなりますよね。イディカムニエ!

デジタルダウンロード販売を活用したとき

今でこそ当たり前のダウンロード販売ですが、初めて利用したときは「本当に手続きは済んだの?もうプレーしていいのかな?」と緊張しました。海外でのクレジット決済に不安を覚えていたからです。ちなみに、そのとき買ったのはレースゲームのアドオンで400円程度のもの。その後セールでは、信じられないぐらい値下がりし、所謂積みゲーの高さがさらに高まりました。

他の通販もあって、週何度も顔を合わせていた配達業者さんへの負担は減ったのですが、それまで活用していた輸入代理店は一切利用しなくなりました。もともとニッチな業種でしたが、新製品が入らなくなったり、店をたたまれたりしており、完全に時代に潰された感があります。

VR機器のお試しをしたとき

秋葉原に遊びに行った時ですが、たまたまパソコンショップにOculusが展示してあり、ちょっとだけ遊ぶ機会がありました。車を駐車場に入れるだけという試験的なゲームでしたが、久しぶりに感動しました。まだ高価で、有線で、キラーコンテンツ不足で、少なくともフルHD画質が欲しいと思っているので、買い控えていますが、頃合いがきたらと密かに狙っています。

以上、思いついたまま適当に書いてしまいました。持っているゲームのディスクを見ればまだまだ思い返すことがあると思いますが、それはまた後日にしましょう。

シェアする

『PCゲームで度肝を抜かれた瞬間(等)』へのコメント

  1. 名前:DarkSK 投稿日:2018/05/01(火) 05:12:22 ID:ce6cf36ec 返信

    ナ・パリ城の店頭デモには度肝抜かれたなぁ
    当時は今と比較にならないくらい、PCが高い時代だったから
    指をくわえて眺めるくらいしかできなかった

    • Z.O.E 名前:Z.O.E 投稿日:2018/05/01(火) 23:14:16 ID:317d8b0b2 返信

      私はUT99からUnrealにいったのですが、それでもあのデモ動画は印象深かったですよねぇ。思い出があるのか今見返しても十分インパクトのある映像です。